日本公認会計士協会 準会員会

インタビュー
( 会計業界 )

渋谷英司氏

「一日一善」のつもりで改善事項を見つけ、会社に提案する。

岐阜・名古屋を中心として数々の株式上場を成し遂げてきた渋谷英司先生は、法人内ではリサーチセンター便りを全国へ発信したり、e-learning教材製作や執筆活動も行い、さらには修了考査の試験委員も3年間務めるなど、全国区でも幅広く大活躍しています。そんな渋谷先生に、地元で活躍しつつ、全国でも幅広く活躍するヒントをお聞きしました。
(2011年11月28日 トーマツ名古屋事務所にて)

 

 

有限責任監査法人トーマツ 名古屋事務所 パートナー
公認会計士・公認内部監査人 渋谷英司先生

1 学生時代について

どのような学生時代でしたか?

中学は地元の公立の不破中学校を卒業しました。中学2年までは、勉強が嫌いで成績もよくない学生でしたが、中学3年の春休み前後の2週間、猛勉強して、いきなり成績が上がり、最終的に岐阜高校に進学することができました。国語は嫌いでしたが、数学、音楽、美術が得意で、それにマラソンや相撲も得意でした。しかし、高校1年の時は、周りが優秀な学生ばかりでしたので、成績がなかなか伸びなく、猛勉強して赤尾の豆単(当時8000語くらい)を全部暗記するなどして努力しました。国立大学を目指していたのですが、数学が得意で、最終的に慶応義塾大学経済学部に進学しました。
実際には、中学3年の時を除いて成績はよくなかったので、なかなか苦しんだ学生時代でした。


公認会計士試験を受験しようと思った動機は何でしょうか?

慶應義塾大学は、慶應高校からの内部進学で優秀な人が来る大学でした。既に高校時代にドイツ語を勉強しており、結局、大学でも劣等意識を持っていました。ESSに入って、英語で夢を見るくらい苦しんでいて、英会話の学校を探していたのですが、英語に限界を感じて会計の学校のチラシが目に入り、就職も難しそうでしたので、一発試験に合格して公認会計士になろうと思い、この道に足を踏み入れました。


公認会計士試験はどのような感じでしたか?

会計は、まじめにコツコツやれば、ちゃんと分かりますし、過去の不勉強は、あまりハンデにならないので、自分にマッチした試験だと思っていましたが、大学4年時の受験では、やはり実力が足りず不合格となり、その後1年は、大変つらい受験生活でした。


弁護士と比較して公認会計士はどのように思いますか?司法修習生(平成23年12月15日弁護士登録)である息子さんを見て感じたことを教えてください。

公認会計士は、企業を相手の仕事が中心であり、勉強になることも多い仕事だと思います。弁護士は、破産、サラ金、交通事故、離婚など、個人の生活や人間性そのものに係わる仕事が多く、私のような人間では勤まらないと思います。公認会計士も弁護士も、今は就職難ですので、どちらも大変だと思います。長男は、企業を相手にする弁護士事務所に採用が決まり、ほっとしています。

 

2 監査法人でのキャリア

トーマツに入社するまでの経緯を教えてください。

昭和54年9月下旬に合格発表があったのですが、当時新宿の伊勢丹でアルバイトしており、9月末まで仕事をやらなければいけませんでした。そのため岐阜の実家に戻ってくるのが、10月になりました。実家に帰ってきて、就職先を探さなくてはと思い、日本公認会計士協会東海会を訪ねましたところ、もう就職が決まっている人が多いので、急いで探した方がいいとの助言をいただき、3つの会計事務所を紹介していただきました。

東海会は、名古屋の伏見にありまして、その伏見にあった等松・青木監査法人に、まず訪問したら、成績証明書を持ってきてくださいということでした。大学の成績はよくなかったので、ここは難しいなと思い次の会計事務所を訪問しました。次の会計事務所では、ちょうどお客様がいらっしゃったところで、大きな声を出してしまい、いきなり馬鹿者と怒鳴られまして、生まれて初めて怒鳴られたものですから、この会計事務所は、私には無理だと思いました。最後に、もう一つの会計事務所に訪問しましたら、来週、試験をするので、よかったら受けに来てくださいということでした。もう2か月も遊んでいましたので、合格する自信がなく、もう一度、最初に訪問した等松・青木監査法人を訪ねることにしました。

「今日、3つの会計事務所を訪問しまして、等松・青木監査法人に入りたいと思いました。しかし、もう一つの事務所からお誘いがあり、来週試験を受けてくださいと言われました。等松・青木監査法人に入社したいのですが、試験を受けてから辞退するのもどうかと思いますので、今日、内定をいただけないかと思い、もう一度ご訪問させていただきました。」
「そうだな。公認会計士試験に合格するだけの実力があるのだから、成績証明書をわざわざ取り寄せることもないので、採用しましょう。」
ということで、等松・青木監査法人に入社しました。

その当時は、3年間勉強したら独立するものだと思っていましたので、実務補習所のそばにあり、田舎の自宅からでも何とか通える立地条件であった等松・青木監査法人は、私にとってありがたい会計事務所でした。


東京ではなく、地元である名古屋・岐阜を選択した理由を教えてください。

長男ですし東京での一人暮らしは大変でしたので、親孝行のつもりで自宅に戻ることにしました。彼女でもいれば、東京を選択していたと思います。
もともと岐阜で生活して働ける仕事は何かという選択肢で公認会計士を目指したのですから、そんなに違和感はありませんでした。


若手時代に取り組まれていたことを教えてください。

最初の3年間は、税理士と言われるくらい税法の勉強をしてました。清文社の法人税の決算調整と申告の手引といった電話帳のような本を、丸1冊読破しました。もちろん法人税基本通達逐条解説といった本も読み込んでいました。当時は、会計といえば企業会計原則だけの時代ですので、会計の勉強=法人税の勉強でした。

公認会計士になってから3年間は、コンピュータの勉強をしていました。MS-DOS、BASIC、COBOLなど、かなり専門的な知識を持っていました。給与計算、固定資産、歯科医の窓口管理などのシステムを自力で作成したことがあります。

その後、主として民間上場企業等の会計監査等を担当してきましたが、過去に十数社の株式公開を直接指導し、利益計画・予算、原価計算、諸規程、Ⅱの部、決算マニュアル等の作成指導など、一通りの経理指導ができるようになり、現在に至っています。


業務はもちろん、業務外でも印象に残ったことを教えてください。

出張が大好きで、東京から沖縄まで、アメリカ大陸、ヨーロッパの主要国、中国、東南アジアを飛び回っていました。事業所や子会社に往査すると、普段は忙しい本社の方とじっくりお話できますし、往査先のかなり目上の方ともコミュニケーションができ、非常に有意義でした。かつては今と違って、仕事ばかりでなく、ちょっと観光をしたり、しっかりお酒を飲んだり、とても楽しかった記憶が残っています。


仕事について特に強く意識していたことを教えてください。

一日一善じゃないですが、一日仕事したら、必ず改善事項も見つけ出し、会社担当者にインパクトを与えることを、いつも考えていました。少なくとも、現場の主任を担当していた時は、実際に会社にとってためになる提案を、毎日していたと思います。

 

3 多様な活躍・全国区での活躍

公認内部監査人の試験を受けたときのお話について教えてください。

公認内部監査人の試験を受けるきっかけは、単純です。現場で仕事をしていたら、事務所から公認内部監査人の試験を受験するのかどうか、今日中に連絡くださいという電話がかかってきました。ちょうど、その現場に、主任がいて、公認内部監査人の試験を受験するのかどうかとの問合せがあったけど、どうするのかと聞いたところ、受けるという返事でした。私は、どんな試験かも知らず、自分が受かるのかどうか分からなかったので、その主任に、合格するつもりで受けるのか確認したところ、そのつもりだということだったので、後輩が合格するつもりなら、何が何でも合格しなければいけないと決意し、受験しますと申し出てしまいました。

過去問を解いてみましたら、60%しかとれません。70%に達しないと不合格なので、あと10%上積みが必要です。既に合格した人から受験講座の本を借りてきて、ラインマーカーの塗ってある箇所だけ、目を通しました。もう一度、過去問を解いたのですが、また60%しかとれませんでした。しかも、前回間違えた箇所を、また間違えています。勉強したはずなのに、テストの点がよくならない。しかも、勉強する前に解いた問題を、また間違えてしまっているということが分かりました。

いまさら勉強しても、そんなに時間がないので、間違った問題だけを解きましたが、また間違えてしまいます。そこで気づいたのですが、同じ問題が出たら、とにかく答えを暗記して、悩まず回答するしかないと思いました。
運よく、私が間違った過去問が本試験で、いくつも出ました。実力は60%でしたが、皆が何度も間違う過去問は、答えを暗記していましたので、なんとか70%をクリアできて、見事合格しました。


テクニカルセンターの仕事について教えてください。

名古屋事務所では、平成13年10月から、毎週月曜日にテクニカルセンター便りとして情報発信していたのですが、平成19年6月1日から本部一体化により、全国版のリサーチセンター便りとして、2週間に1回、本部委員として発信することになりました。現在、平成23年11月ですので、10年間以上も情報発信してきました。

平成19年5月までは、名古屋事務所限定版でしたので、ちょっと踏み込んだ記事を書いていました。毎週でしたので、毎週日曜日の夜は、新聞記者のような気持ちで、特ダネを書いていました。平成19年6月1日からは、全国版のリサーチセンター便りとなり、2週間に1回になり、隔週ですが日曜日ものんびり過ごせるようになりました。オールトーマツの発信になり、特ダネは書けなくなり、ちょっと残念でした。

今は、特ダネでなく過去2週間に正式に公表された情報を、コンパクトにまとめて発信しているだけであり、誰でもできる仕事ですが、自分の知識の整理として、最低限必要な学習であり継続させていただいています。最近、力を入れているのは、名古屋事務所での相談事例の紹介です。若い人が困っている時にヘルプできる、優しいテクニカルセンターを目指しています。


執筆活動をされていますが、執筆の経緯、やってみての感想を教えてください。

最近、清文社のトーマツ会計セレクション外貨建取引会計という書籍を出版しましたが、忙しい時期に担当しましたので大変でした。著作権違反とならないよう、読んで分かりやすく書かなければいけなく、意外と大変でした。名古屋事務所の若手公認会計士に、原稿を書いてもらったのですが、3人とも忙しい中、頑張ってくれました。3人の個性が強く、同じスタイルに統一しつつ見直すのは大変でした。

執筆ではないですが、e-learningの教材を二つ作成しました。金融商品会計と退職給付会計です。個人的には、意外と満足のいく結果だったのですが、撮影は大変でした。間違ったことを喋ってしまって、編集チェックの時に気づいたのですが、わざわざ東京まで撮影に行くことなく、私の声を上手に合成して、修正してもらいました。余談ですが、ビデオなどは本人が言ったことと正反対のことを言っているように編集できるのですから、証拠力はないと思いました。


修了考査委員を引き受けた経緯と、実際にやってみての感想を教えてください。

会計実務の出題委員を、名古屋から誰か担当するということになり、会計実務ということでしたので、名古屋のテクニカルセンター担当の私が担当することになりました。
平成18年度から3年間担当しましたが、1,600人以上の答案を採点するのは非常に大変で、朝から晩まで頑張ってもなかなか終わりません。しかも、1回目の採点を見直すのにも結構な日数がかかってしまいました。

自分としては、どの問題も、味のある良問だったと思っています。出題した時は、満点が続出するのではと恐怖感があったのですが、採点の時は、どうやって点数をやろうかで悩みました。基本さえしっかり理解していれば、合格できる試験であり、難しいところが出れば、全員できないだけですので、トップ合格でなくてよいなら、基本をしっかり押さえることで十分だと思います。


岐阜市の包括外部監査もされていますが、包括外部監査に関わったきっかけや印象に残ったことを教えてください。また、公認会計士が地方公共団体に関わる意義・役割なども教えてください。

公認会計士協会の岐阜県会より推薦を受け、岐阜市の包括外部監査人を平成20年度から3年間担当しました。テーマを自分で選定して報告書を提出する仕事であり、テーマの選定に苦労しました。岐阜市全体のテーマを選びたいという趣旨で、3年間で、収入、支出、情報システムという大きなテーマを選びました。民間企業と地方公共団体の体質はまったく異なり、民間企業のことをよく知っている公認会計士は適任だと思います。


増えつつある地方在住準会員へ仕事の心構えを教えてください。

どんな仕事でも、相手が喜んでいただけることが大事だと思います。地方にも監査対象の会社はありますし、そこでよい仕事ができれば、幸せだと思います。地方在住でも、全国区で活躍できる人なら、そのような機会があるかもしれません。私は、現在、担当している仕事を、精一杯頑張りたいと思っています。
佐久間さんと四国の鉄道会社で一緒に仕事ができたのも、過去に東海の鉄道会社で一生懸命仕事をしてきたからだと思っています。どこでどんな縁があるかは分かりませんが、よい仕事をしていれば、いつかは評価してもらえると思っています。

 

4 パートナーとして

最近の新人を見ての感想を教えてください。

そうですね。今の新人は、入社するなりパソコンに向かっての仕事で大変だと思います。私の新人のころは、なかなか仕事にありつけなく、入社2年間は、毎朝、先輩たちが来るまでに、先輩たちの机の上を雑巾がけしていました。先輩の言うことは絶対であり、先輩からは、直接仕事に関係しないことであっても、例え就業時間内でもお付き合いをしなければなりませんでした。毎日、仕事できる時間は、実質4時間くらいしかありませんでした。

仕事があまりなかったので、勉強する時間はありましたが、Eラーニングなどはなく、先輩は何も教えてくれませんでした。その代わり、クライアントの方が優しく何でも教えてくれる時代でした。
時間に余裕があったので、考える時間があり、納得できるまで時間をかけることができたので、よき時代だったと思います。今の新人は、仕事を十分理解しないまま、仕事を終えているように感じます。パートナーも、新人の教育に力を注がなくてはいけないと思っています。


今年(2011年)の公認会計士試験は、ついに史上最難関になってしまいました。史上最難関を突破した方々を見て感じたこと期待することを教えてください。

いまの合格者は、自分の子供より若い世代です。自分の子供が可愛いように、新入職員も可愛くてしょうがないです。自分が経験して来て、あの時、こうすればよかったという苦い経験があります。自分と同じ失敗を繰り返さないよう、見守っていこうと思っています。史上最難関を突破した優秀な新人と一緒に仕事できて、幸せだと思っています。

近時、公認会計士試験合格者が多様な分野で、実務経験を積んでいます。期待すること、気をつけておくべき事など、アドバイスをお願いいたします。

そうですね。どんな仕事も大変であり、仕事の厳しさを認識して、精一杯努力してほしいと思います。長い人生、つらいことも、いろいろあります。自分を見失うことなく、自分の存在価値を大事にして頑張ってほしいと思います。

 

5 その他

ご趣味である、鉄道旅行について、これまでのお話や思いを教えてください。

平成23年11月18日のトーマツ休日を利用して、女房と二人で、トワイライトエクスプレスに乗り、大阪から札幌まで移動し、小樽で観光して、飛行機で帰ってきました。おいしいフランス料理を食べての鉄道旅行は、最高でした。この2年間で、小樽、札幌、函館、青森、新潟、京都、天橋立、奈良、鳥取、境港、津和野、高松、松山、高知、徳島、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、枕崎などに観光を兼ねて、鉄道の乗りつぶしをしています。鉄道乗りつぶしではないですが、家族4人で、屋久島と旭川にも行きました。

ちょうど2年前から、携帯電話ゲームのケータイ国盗り合戦に挑戦しています。全国600国のうち432国を制覇しました。また、1年以上前から、携帯電話でコロプラを始めました。コロプラは、全国748地域のうち420地域を制覇しました。10年計画(あと8年)で、JR全線制覇、ケータイ国盗り合戦600国制覇、コロプラ748地域制覇を目指しています。

個人として、上司として、組織として、とりくんでいらっしゃることや心がけていらっしゃることを教えてください。

(1)個人として

①毎朝、通勤電車の中で、行動目標を入力する。
スマートフォンのスケジュールアプリ(ジョルテ)に、毎朝、本日の行動目標を入力する。

②周りの人と笑顔で雑談をする。
いつも笑顔で応対し、帰る時は、単に「お先に」だけでなく、明るい言葉をかけて帰る。お昼も、いろんな人と食事するように心がける。

③仕事上のメールであっても、仕事以外の要素を付加して人間関係の強化に努める。
相手のことをよく知っていることを表す。例えば、ファーストネームで呼ぶようにする。仕事以外の人間性に触れるように心がける。

④毎日、通勤時間を利用して日記を書く。
スマートフォンのメモアプリ(EVERNOTE)で日記を書く。

⑤頼りがいのある人物を目指す。
まずは、自分が魅力ある人間にならなければならない。恥ずかしくない知識・能力を蓄積するよう自己研鑽する。

⑥遊びを大事にする。
遊びの心を大事にする。飲み会を増やし、ゴルフにも積極的に参加する。JR全線のりつぶしを目指す。コロプラ・ケータイ国盗り合戦で全国制覇を成し遂げる。

⑦仲のよい家族でいられるように心がける。
1週間に1日は、女房と二人で過ごす。子供との会話も大事にし、毎月1回は、一緒にゴルフをする。

(2)上司として

①部下から気楽に相談されるように心がける。
テクニカルセンター担当として相談が増加するような働きかけを行う。広く多くの人から相談を受けるように心がける。
アウトルックに相談実績を残して、相談実績を把握する。
例えば、1年間で、部門の主任クラス全員から相談を受ける。また、3年間で、名古屋事務所の主任クラスの大半から相談を受けることを目標とする。
また、気になる相談事例をタイムリーに紹介する。

②毎日、最低1回は、部下を褒める。
1日1回、少なくとも部下を褒める。褒めるのは無理でも、明るい会話を心がける。

③メールだけで終わらず、口頭で話し合うように働きかける。
統括社員、執行社員、審理社員、テクニカルセンター担当など、いろいろな立場での相談があるが、どんな場合でも、メールだけで終わらないよう、また相手の気持ちを理解して行動する。

④クライアントとかPD先のコミュニケーションの場で、有意義な話をする。
どんな話をするか事前に準備をする。通勤時間を利用して、日記などを活用して、ノウハウを蓄積する。

(3)組織として

①監査チーム内ディスカッションでリーダーシップを発揮する。
チーム全員がフローになれるような雰囲気作りをする。チーム全員から話を聞くように心がける。
監査チーム内ディスカッションに積極的に参加するとともに、何度か開催をするように働きかける。

②所内会議等で発言するなど心がける。
主導的役割を心がけ、所内会議等が活発になるように心がける。

③所内研修の場で、明るい話をする。
所内研修においては、単に知識の伝授でなく、明るい話を盛り込む。

いろいろ目標設定しましたが、必ずしも実践できる自信がありません。しかし、いろいろ考えて行動していることだけでも理解していただけたらと思っています。

 

感想インタビューを通して〜

地元で家族を大切にしつつ、全国区で幅広くご活躍されている渋谷先生の生き方に共感し、そのご活躍のヒントをお聞きするインタビューでしたが、それ以上の大きな学びがあったと思います。
第一に、あきらめないことの大切さです。高校入試や公認内部監査人試験の前の頑張りとか、等松青木監査法人に就職を決める際の経緯から、土俵際であと一歩踏ん張れるヒントを学びました。
第二に、今の渋谷先生のご活躍は、若いときから会計・税務・コンピュータ・内部監査などさまざまな分野にわたり勉強を深め、そのときそのときにご縁のあった仕事を「一日一善」の心がけで頑張ってきたことの積み重ねだと思いました。そして、ほかにも学びは多かったのですが、今回のインタビューにあたり、渋谷先生はとても丁寧に原稿を用意して頂くなど、お忙しい中万全の準備をしていただき、私としてもただただ恐縮するばかりでした。こういうところが全国区で活躍するヒントだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

渋谷英司先生:岐阜県不破郡垂井町出身。1975年岐阜県立岐阜高校卒業。1979年慶應義塾大学経済学部卒業。同年公認会計士試験二次試験合格後、等松青木監査法人(現・有限責任監査法人トーマツ)入社。1983年公認会計士登録。岐阜・名古屋を中心として株式上場を中心に活躍。日本公認会計士協会修了考査運営委員会出題委員(2006年4月~2009年3月)。岐阜市包括外部監査人(2008年~2010年)。公認内部監査人。

 

 

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