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「桜内議員が語る、会計人が国会ですべきこと」…四国分会インタビュー実施報告

登録日: 2010.09.28

 準会員会・四国分会は、四国出身の会計人の活躍を伝えるべく、インタビューを実施しております。
 9月28日(火)、参議院議員・会計士補である桜内文城先生(愛媛県宇和島市出身)を訪ねて、参議院議員会館まで行ってお話を伺ってきました。
 大蔵省(現・財務省)での仕事はどのようなものなのか? どのような過程を経て、会計に携わるようになり、公認会計士試験を受験するにいたったのか? 公会計はどのようなものなのか? そして、公会計に携わる会計人として、永田町ですべきことは何なのか? など、さまざまなお話を伺ってきました。 

 

 以下、インタビュー内容です。ぜひご一読ください。

 

(佐久間) 本日はお忙しい中、準会員会によるインタビューにお時間を割いていただき誠にありがとうございます。早速ですが、簡単に経歴を教えてください。
 
 
(桜内先生) 僕はみなさんよりもだいぶおじさんで、昭和40年10月21日、愛媛県北宇和郡吉田町に生まれました。教員だった父親が宇和島に転勤になったため、小・中・高と宇和島で過ごしました。僕が行っていた高校は、このまえ甲子園にも出た野球の強いことで有名な宇和島東高校です。僕自身は剣道をやっており、三段です。
 大学は東京大学法学部出身で役人を目指しました。周りもそういう人が多かったので。卒業後は大蔵省(現・財務省)に入省しました。

 

(佐久間) 公認会計士試験も在学中に合格されたのですか。
 
 
(桜内先生) 実は、公認会計士試験を受けたのは相当あとになってからなんです。学生時代は、法律の勉強ばかりしていました。大学3年のときに、経済学部との合同授業で会計学の授業も受けていましたが、あまりにも無味乾燥で、最初の6コマくらい講義に出て、挫折したという思い出しかありません。
 僕が公認会計士試験(旧・二次試験)に合格したのは、みなさんと同じくらいの2005年です。

 

(高橋) 大蔵省では最初はどのような仕事をされていたのですか。
 
 
(桜内先生)  僕の経歴は、最初のほうはあまり会計に関係なくて、最初に配属されたのは大臣官房秘書課でした。この上品な人柄が評価されたのでしょうか(笑)。 大臣官房秘書課というのは、普通の企業で言うと、人事課に相当するものです。そのときに、大臣の儀典関係のお手伝いもしました。一年生の時には国会議員の質問取りの仕事をすることもあるのですが、リクルート事件に関わる国会連絡担当もしました。リクルート事件で宮澤さん(当時の大蔵大臣)が辞任するに当たり、涙を流したのが印象に残っていて、「政治家たるもの、人前で涙を流してはいかんでしょう」と一年生ながらに思っていました。当時は、やっている仕事の一つ一つが国の意思決定につながっていくという実感を持ち、使命感をもって一生懸命仕事をしていました。
 大蔵省・財務省というと会計に関係があると思われがちですが、金融商品取引法(証券取引法)を所管する金融庁を別として、普通の日々の大蔵官僚の仕事はやっぱり法律なんです。会計処理自体もいわゆる現金主義で、統制的な仕組みとか手続とか、内部統制的なものがとてもたくさん決まっています。法律に基づく行政と言われる通り、法律でがんじがらめでした。

 

(高橋) 留学されたときのお話を聞かせてください。
 
 
(桜内先生)  僕は、経済も好きな方だったし、政治学も勉強したいという思いがあり、ケネディースクール(Harvard John F. Kennedy School of Government)に留学しました。これを機会に、公共政治学を勉強しようと思いました。歴史なども含め国家論・外交も含めた政治学、経営学を勉強したいと思いました。
 役人の留学の仕組みは、まずアメリカとかイギリスとか国を指定されます。そして、そこから先は自分でトライしなさいという感じです。普通は、いくつかアプリケーションを出すのですが、僕は、作文とかエッセイとか書くのが面倒くさくて、結局ケネディースクールしか出せず、これで通らなかったら…というギリギリの状況でなんとか行くことができました。2年間とても楽しい留学生活を送ってきました。日本の大学の学生寮は、男子と女子が別々なのですが、アメリカの大学の学生寮は男女共同で皆でパーティーに行ったり、金髪のお姉ちゃんと飲んで「勉強教えて」とか「僕英語分かんない」とか言っていました。
 アメリカに留学に行ってはじめて、論文も自分の好きなテーマを選んだり、成績とか気にせず自分の好きなものを勉強できるというのを味わいました。
 東大法学部の頃は、「法学部砂漠」と言う通り、楽しくなかったです。公務員試験を受けたり、司法試験を受けたりと、延々と受験勉強が続くのです。受験勉強の得意な奴らの競争はとても熾烈で、僕は都会の進学校の奴らに負けたくないと思い、勉強するかバイトするかでした。
 留学先は、ハーバードだけあって、有名な先生もいました。ジョセフ・ナイ(Joseph Samuel Nye, Jr)、グラハム・アリソン(Graham T. Allison)もいて、キャンベル国務次官補(Kurt M. Campbell)は当時助教授でした。キャンベルの授業を受けていて、もちろん日本人で英語が苦手ということで15分か20分ほど時間延長してもらって試験を受けたのですが、気があったのか、クラス最高点をいただきました。アメリカ人の学生からは「なんだよ」と思われましたが、「concise&complete」とかコメントをいただいていました。
 実は、そのときから、若干会計に興味を持つようになりました。とはいっても、マクロ経済学で出てくる国民経済計算のことなのですが。減税のGDPに対するインパクトとか、財政政策・金融政策のGDPに対するインパクトなどについて、モデルを作って、短い論文を書きました。
 公共政策の修士(Master in Public Policy)を取得して、2年間の留学を終えて、大蔵省に帰ってきたのですが、本当はもう少しアメリカに居たくて、ニューヨークの国連本部とかいいなあと思っていました。もう少しアメリカにいたら人生変わったかもしれませんが。

 

(高橋) 留学から帰ってこられてからあとはどのような仕事をされていましたか?
 
 
(桜内先生)  留学後は、いきなり主税局の国際租税課でした。国際租税とか租税条約とかタックスヘブンに係わることとかやっていました。監査法人から電話がかかってきたりもしました。法人税法がわかってようやく国際租税も分かるようになるのですが、僕はいきなり担当させられたので、とても大変でした。租税条約のモデル条約を作りに携わり、OECDのあるパリなどによく出張に行きました。大使館に出向している先輩からよくおごってもらい、とても楽しんでいました。
 その後、楽しみすぎたせいか任期途中の1年で国内担当の調査課に配属になりました。当時は消費税が3%でしたが、税率を5%に上げると各家計にどれくらいの負担がかかるかなどをシミュレーションしていました。この仕事は、うってかわって忙しくとても充実しておりました。
 ちょうどこの頃は、東京にいたものでしたから、プライベートも充実(?)していて、女性とお食事を楽しんだり、雑誌編集者とも仲良くなったりしました。また、通産省の同期と勉強会もしていて、政治と官僚の役割分担・公務員制度改革のようなものについて考えました。ちょっとハメをはずして大目玉をくらったこともありましたが…。
 大蔵省時代には、当時は税務署長になるのが通例だったのですが、大目玉をくらった影響か、なんとか税務署長にはなることができたものの、最も遠いところということで加治木税務署(鹿児島県姶良郡加治木町:現在の姶良市)になりました。主税局にいた関係で、税の執行の現場にはとても興味がありました。当時はなかなかいい時代で、酒造組合と仲良くなって、飲ませてもらいました。当時、延々と続く独身時代で懲りもせず飲みに行っていました。ある飲み屋で飲んだ焼酎がとても甘く、何か混じっているぞという話になり、翌日にその銘柄を税務署で取り寄せて、税務署の中にある分析用具で調べたらステビア(パラグアイ産のキク科の薬草から抽出される甘味料。砂糖の200倍~300倍の甘みを持ち、カロリーは砂糖のわずか1/100である。)が見つかりました。その後の税務調査でステビアの袋が発見され、混ぜ物をしていたことが発覚しました。その結果、適用される税率が変わったため、自分の給料よりも高い3千万も税額が増えました。そうやって、飲んでいる時もまじめに(?)税務行政に取り組んでいました。一応、自分の給料以上の仕事はしていたわけです。

 

(高橋) マレーシア勤務時代について教えてください。
 
 
(桜内先生)  ある日、東京から電話がかかってきて、「鹿児島は楽しいか?次はマレーシアだ。」と言われました。学生時代に公認会計士試験に合格していればなあと思いましたが、しかたなく赴任しました。
 マレーシアに行く前1年間は、国際金融局に配属され、パリ、ブラジル、アメリカなどに出張に行きました。勉強会をした通産省の同期とたまたま大雪の降るワシントンで出会ったのですが、彼は栄転まっしぐらでした。この差は何なのでしょう?それでも、こりもせず合コンはしていたのですが…。
 実は、マレーシアでの仕事は当初とても暇だったんです。シンガポールだったらわりと忙しいのですが、マレーシアは、大蔵省からの出張も月1回あるかないかです。それ以外、何もやることはないくらいです。たまたま、マラヤ大学(Universiti Malaya)で博士論文を書いたOECF(Overseas Economic Assistance Fund、海外経済協力基金;現・国際協力銀行)の方に出会い、その方の指導教官(日本の政治を専攻)が大蔵官僚を見てみたいということで、僕も、SNA(国民経済計算:System of National Accounts)の書きかけ論文があり、仕上げたいということでPh.D.candidateとして論文を書くことにしました。毎日大学に行く必要もなく、Ph.D.があったほうが今後なにかと便利だということも理由でした。
 その後、97年7月にバーツ危機があり、急に忙しくなりました。頻繁にミスター円(榊原英資)がやってきて、為替などの実際のオペレーションを間近に見る機会に恵まれました。その経験を活かし、通貨制度論としてPh.D.論文を仕上げました。例えば、バブル崩壊のときに政府が歳出を増やす、その財源が所得税なのか、消費税なのか、赤字公債なのかによってGDPに対するインパクトが違うのです。調達のちがいによってマネーストックの量が変わってくるし、単なる財政支出と言っても結局見なければならないのは政府のB/Sとか金融部門との資金のやり取りとかで、ある種すべてのセクター(社会部門)のB/Sをつなげていくようなイメージなんです。それで世の中全体のB/Sがどうなるのかをみなければならないのです。政府部門が公共事業を行なうとか、子供手当を行なうとかの場合に、その調達手段の組み合わせによって、GDPその他の政府以外のセクターに対する経済的なインパクトが違うのです。これを銀行・政府・事業会社・家計などそれぞれB/Sを統合したものが社会会計として一国全体のB/Sとなります。それをセクターごとにB/Sをもってマトリックスにして、モデルを作りました。地価の上昇、株価の下落などの世の中全体に対するインパクトについて、さまざまな場面の包括的なモデルをつくり、アジア通貨危機・バブル崩壊の説明を試みました。
 その過程で、だんだんと会計に関心を持つようになり、政府部門にはB/S・P/Lがなく、ないなら自分で作るしかないと思いました。

 

(高橋) 会計に関心を持ってマレーシアから帰ってきた後はどのようなお仕事をされたのでしょうか。
 
 
(桜内先生)  それから、理財局で財政投融資の仕事をしていましたが、兼任ということで、たまたま、国のB/Sをつくるというプロジェクトに参加することになりました。当時のプロジェクトリーダーは片山さつきさんでした。最初は財産目録みたいな感じでB/Sをつくるということが主眼となり、特殊法人の出資金の評価を出資先の純資産額でするのか取得原価でするのかという議論もありました。特別会計の財務諸表を作ろうという話にはなったものの、当時は基準がなく、公認会計士協会の常務理事の先生と一緒に基準から作りましょうという話になりました。もとになったのが国際公会計基準や外国の事例ですが、基準を作るには概念フレームワークが必要になります。たとえば、資産の定義自体も違うのです。日本の基準でもIFRSでも資産は経済的便益(future economic benefits)という言い方をするのですが、将来のキャッシュフローがどうなのかで資産を定義します。国の場合、資産とは言っても、キャッシュフローを生まない、逆に他の経済主体が便益を受ける国道や港湾があります。これをサービスポテンシャル(サービス提供能力)というのですがこれを含めて資産を定義します。もちろん、その測定は難しいのですが。そのため、独自の定義が必要になります。概念フレームワークから決めないと基準が書けないことになり、これに加えて特別会計向けの会計基準が必要になりました。そこで、先生方のご指導を受けながら僕がひたすら基準を書き続けました(実は、会計基準を書くのが好きだったのです。)。そして、それをもとに各役所に号令をかけて、決算時期に間に合わせて全特別会計のB/S・P/L・N/W(純資産変動計算書)・C/Fを作らせました。やる気があれば、3・4カ月で作れるものなのです。

 

(黒木) ところで、プライベートについてお聞きしてもよろしいでしょうか。
 
 
(桜内先生)  当時、もう30代半ばでしたが、いいかげん結婚したくなり、婚活もしていました。しかし、頭の中は国の会計基準のことでいっぱいで、税金が国民からの出資なのか収益なのかなどの議論に熱中しており、女性を前にして「趣味は公会計!」とか言っていたため、全然相手にされませんでした。
 結局、結婚はお見合いでした。合コンに費やしたあの時間と金はなんだったのか。あれだけ時間があったら、1年早く概念フレームワークを完成させられました(笑)。

 

(黒木) その後、会計の道へ進む過程を教えてください。
 
 
(桜内先生)  当時、大蔵省を辞めたいと思って辞表を提出したら、当時の人事がとても良い人で、「半年くらい居てもいいぞ。その間に探せ。」と言われました。そのとき、インターネットでたまたま新潟大学の公会計担当の教員募集を見つけて、応募してみたら、採用されました。マレーシアで取得したPh.D.が評価されたのかもしれません。
 その頃ちょうど、日本公認会計士協会の会長の交代の時期(中地会長⇒奥山会長)で、会長直属で30人くらいの錚々たるメンバーの公会計概念フレームワーク検討プロジェクトチームが発足しました。合宿検討会などを経て、いろいろ厳しい立場にも立たされたりもしながらですが、フレームワークは討議資料というかたちで、完成させることができました。現在も日本公認会計士協会のホームページにも載っています。
 ただ、「会員(公認会計士)でもないのに、なぜお前が概念フレームワークを書いているのか」ということが問題になり、それならばということで、二次試験を受験しました。泣きそうになりながらではありましたが、勉強して合格しました。その後は新潟から東京の補習所に通い、若い連中に交じって授業を聞いたりするのも楽しかったです。やっぱり僕はもともと勉強が好きなのかもしれません。

 

(黒木) 政治家を目指すにあたり、公認会計士試験に合格しておいて、よかったですか。
 
 
(桜内先生)  新潟大学を辞めて、宇和島に帰っての政治活動は、本当に大変でした。知り合いの会計士の先生方にお願いして業務補助をさせていただき、資金面でも助けてもらいました。公会計のソフトも開発もしており、自治体向けの基準モデルも作り、「芸は身を助く」というとおり、ソフト開発会社からも助けてもらいました。
 ほかにも資金援助の話はあったのですが、リーマンショックで立ち消えになりました。お互いに大変だったと思います。しかも、2009年は衆議院議員選挙で落選し、今年も落選するようなら、まじめに修了考査の勉強をして公認会計士として身を立てていくつもりでした。そういう意味で資格を持っておいてよかったと思いました。

 

(下岡) 公会計を目指す意義とは。
 
 
(桜内先生)  国会の仕事、政治の仕事において、公会計はとても需要があります。自治体を含めて政府の財政をコントロールすることも大事な課題なので、皆さんの活躍する場も増えてくると思います。これまで、監査法人でもPS(パブリックセクター)は、もうからないということでみんな行きたがらないと思うのですが、僕は、政府の財務コントロールをやりたくて公会計の世界に入りました。政府の財務コントロールなくしてきちんとした政府の意思決定はないといっても過言ではありません。稼ぎはともかく一日本国民としての志を持って若い人に公会計に入ってきてもらいたいと思っています。役人は、財務省の役人を含めて、会計のことが分かっていない人が非常に多いと思います。世の中では法律のロジックとともに、会計のロジックも知らないと渡っていけないと思います。皆さんが、会計士という仕事を選ばれたのはとても良かったことだと思うし、公会計の勉強をしたい、公会計の仕事をしたいということであれば、とてもうれしく思います。

 

(下岡) 公会計の今後と、若いうちにやっておくべきことについて教えてください。
 
 
(桜内先生)  当時、大蔵省の先輩からは、公会計の道に進むことについて、反対されたのですが、こうして公会計が生き残ってきたのは、ロジックの強さがあるからだと思います。仕訳なので、貸借金額が合わなければならないのです。財務省の人たちは、法律が得意ですが、法律系の人は、そこまで会計のロジックに強くないのです。政府の財務コントロールをしていくうえで、法律の解釈論だけでは足りません。実際に数字を見て、経営をコントロールすることが必要なのです。仕訳が頭に浮かんで、会計のロジックで説明できないとリスクのコントロールはできません。ここは役人がわからない部分なので、皆さんには強みになると思います。そこで、政府の財務管理に足を突っ込んでみるのもいいと思います。

 

(下岡) これから公会計の基準はどのように進んでいくと考えていらっしゃいますか?
 
 
(桜内先生)基準自体をまとめていくことが必要です。これまで、あまりロジカルな議論がなされていなかったように感じています。外国の基準がいいとか、こんな基準は見たことがないとか、そういうロジックのない部分で議論が左右されることが多かった。国際公会計基準がどのようなロジックで作られているのかということさえ意識されずに持ち出されることもありました。
 僕は、目的の設定が大事だと思っています。基準の前に、目的があります。公会計の場合、AccountabilityとGovernanceですが。政府の代表権限を規律するしくみという意味でのGovernanceなのですが、予算編成を含めて(きちんと予測FSを作って)、政府の意思決定をコントロールできる基準を設定したいと思っています。当初はIFRS色の強い国際公会計基準(IPSAS:International Public Sector Accounting Standards)も、ようやく公会計の基準らしく変更が行われています。AccountabilityとResource Allocation、Social Political Decisionという管理会計的なものも目的に含まれました。目的を設定して、目的に必要な財務諸表は何なのか、そのために必要な勘定体系、必要な財務情報は何なのかと、ロジカルに導き出されるわけです。日本の概念フレームワークや基準こそ、グローバルスタンダードになっていきそうな気がしますね。
 例えば、税収には収益説(税収は政府が国民に対して財・サービスを供給した対価であると位置付け,損益計算書に相当する財務書類に計上するという考え方)と持分説(租税を国家の究極的な持分権者である国民が対価性なく(強制的な)金銭出資したものであると見なし,税収を企業会計における株主資本等変動計算書に相当する財務書類に計上するという考え方)がありますが、これもロジカルに説明したいです。国際公会計基準などが採る税収は収益であると主張する説には、致命的な欠陥があります。そもそも収益というのは、取引から実質的な所有者からの拠出を除いたものとなり、第三者から流入したものと定義されてしまうのです。国民から入ってくるお金を収益とするならば、国民主権のもと、税金を納めている国民が主権者ではないとするロジックが必要なのです。また、会計の目的であるAccountabilityとは、「受託者責任の明確化」であり、委託者である国民から預かった財産に対する説明責任です。しかし、税収を収益だとすると国民は、国家の外部に存在する「顧客」ということになり、「顧客」に対する情報提供は単なる宣伝・広告に過ぎなくなります。日本の公会計の基準では、税収はN/W(純資産変動計算書)に入ります。それは、政府の財務情報のパフォーマンスはP/Lでは測れないからです。ではなにかというと、最大多数の最大幸福をどのように実現するか、つまり純資産の内訳を将来も見据えて、どのように配分していけばいいかということなんです。ネットでみるP/Lではなく、グロスでみるN/Wが大事なんです。金融資産・固定資産の何が増えて、何が減ったのか、それはどこに資源配分されているのかを開示する必要があるわけです。P/Lの黒字・赤字はそんなに重要ではないのです。
 政治家として、日本から公会計を打ち出していく以上、ロジカルなものでないと恥ずかしいと思います。今のうちから、みなさんも議論に参加する際に、「誰が言っている」、「外国にはこういうものがある」というのではなく、「目的はこうであり、ロジックで説明するとこうだ、だから基準はこうあるべきだ」という訓練をしてほしいですね。将来的には、国際公会計基準自体が変わっていかざるを得ないのではないでしょうか。元々国際公会計基準はIFRSの焼き直しという面が強いと思います。とはいえどのような基準であっても、最低限の勘定が揃っていれば、あとは表示の組み換えにすぎません。公会計特有の勘定も含めた勘定科目さえ、ロジカルにしっかりしていればいいのです。

 

(下岡) 現在、取り組まれていることについて教えてください。
 
 
(桜内先生) 公会計の基準に基づいたデファクトスタンダードになるような会計ソフトを作っていこうとしています。そこらへんになってくるともう、どの基準がうんぬんという話でもなくて、どの基準にでも対応できる、きちんとした勘定科目体系を作ることが大事になってきます。さらに分析も十分できるようなソフトを作るというプロジェクトチームをみんなの党で組むと同時に、大手のシステム会社も含めて行っています。F/Sの数字を、実際の伝票ベースまで簡単に把握できるようにして、監査もしやすい仕組みを作っています。今作っているシステムは、勘定科目体系は、最も詳しく作られている基準モデルに合わせています。一番細かいところに情報付けて置くと、後で、国際公会計基準に組みかえることも容易ですから。
 財務省で作っている国の財務書類についても、平成22年度の今走っている期のものについては、予算ベースで予測財務諸表を作りましょう、また今年度の12月中くらいまでに、平成23年度予算を政府予算案ベースで予測財務諸表を作りましょうと。
 来年2月3月の衆参の予算委員会での協議で、全面的な予算の修正・組替を行い、一般会計と特別会計それぞれに予測財務諸表をつけた修正案を準備していこうという状態なんです。
 まさに、国ナビ(国家財政ナビゲーション・システム)のような予算編成の仕組みが事実上生まれてくる。政府側というか民主党政権というのは従来通りやっているけど、なぜか野党(みんなの党)から、ガサっと分厚さ同じで中身が違う、シミュレーション可能な予算書が出てくるっていう世界です。

 

(下岡) この先、ご自分がやらなければならないと考えていらっしゃることについて教えてください。
 
 
(桜内先生) もっと先のことをいうと、本当に僕がやりたかったことは、予測F/Sを作って、政策の意思決定に使っていくことだと思うんですよ。日本経済全体の他のセクターに対するインパクトを公会計のモデルで測定すると、GDPがいくら増えるのか、減るのか、あるいは他の資産価格に対する影響が、どれだけあるのかないのかということまで、インパクトの測定が1円単位でできるようになってきます。本当はそこまでやりたいんですよ。
 今言った話を財務省で実践しようとすると財務省の連中は嫌がる。要は、公会計改革をなかなか役所が進めたがらないっていうのは、財務省は他の役所にくらべ、1段上みたいなところがあるから。なんでかって言うと予算編成権を持っている、つまり最大の権力の源泉をもっているということですね。しかし、予算編成権と言いながら、国ナビのようなソフトとなると、野党ですら与党以上に精緻な予算が作れるし、財務分析もできるようになるんですよ。これが出てきたら、自分たちがそれまでさじ加減の裁量でやれてきたことができなくなる。やっぱり財務省としては嫌でしょうね。でも、これこそ財務省がやるべき仕事であって、国の財務コントロールを自分たちでしようと思うのであれば、これまでのやり方を守るべきではない。目的をはっきりすることが必要であり、そのためには、どういう公会計の議論が必要なのかというところに考えが向かなければいけない。でも今は、自分たちの権限を守るといったところに考えが向いており、それがいわゆる官僚主導で批判されるところである。仮に官僚的であっても、目的がきちんと達成できて、日本の財務状態が非常に良いですということが出来ていれば、誰もこんなことを言い出さない。でも出来ていないから批判されるんです。
僕は、去年衆議院議員選挙で落選したり、いろいろとつらいこともあるのに、何でこんなに苦労して政治家を目指したのかといえば、財務管理の面から日本の意思決定の仕組みを変えたいからです。そして、財務だけじゃなくて、もっと先の政府の統治機構のあり方も変えなくてはいけないと思っているんです。政党のガバナンスのあり方も含めてですが、ここを変えていかないと、なんのために政治家になったのかわからない。その改革はなるべくやりきりたい。

 

(佐久間) 若いうちにやっておくべきことについて教えてください。
 
 
(桜内先生)  会計士の皆さんと一緒に仕事をして思ったのですが、文章を書いたりするのが苦手な人が多いなと思いました。会計士のみなさんにとって、法律も大事なんですよ。会社法にしても、そのほかの基本的な法律にしても、もちろん重要なので、法の解釈学の基本というのは、さすがに司法試験を受けろとまではいわないけれども、勉強しておいてほしいと思います。基準とか書くときに、ロジカルな文章でないと少し恥ずかしいと思います。逆に言えば、法律に強い私が基準を書くことになったのだと思います。それから、あとはもちろん英語ですね。ビジネスが広がりますから。

 

(佐久間) 若手へのメッセージをお願いします。
 
 
(桜内先生) 「衣食を官に頼らず」、これは明治の頃に活躍し、二・二六事件で暗殺された高橋是清の言葉です。
 高橋是清は英語が得意で、当時、英語が使えれば、それだけで飯を食っていけた。高橋是清は、特許局長をやっていたが、今でいう経団連が出資を募って行ったペルーのカラワクラ銀山で銀を掘るという事業に参加するものの、鉱山が廃坑であることが分かって一文無しで帰ってきました。そして、西郷隆盛の弟(西郷従道)に役所に帰って来いと声をかけられた時に、高橋は「衣食を官に頼らず」と言ったのです。すなわち、それまでの自分は役所に養ってもらえるという感覚はなかったから好き放題できたし、それが国のためになったと思うが、一文無しなって役所に帰るとなると、嫌なことでも、自分の意思にそぐわないことでも、上司の言うことを聞かなければならない。それは、自分のためにならないし、ひいては国の為にもならない。だから、自分は役所には戻りませんと言ってその申し出を断ったんです。そして横浜正金銀行に入り、日銀の副総裁までのぼりつめ、大蔵大臣の時には高橋財政と言われたデフレ脱却を行いました。

 

(佐久間) 現在、会計士試験に合格しても就職できない準会員が増加しています。先生は、この未就職問題をどのように感じていらっしゃいますでしょうか。
 
 
(桜内先生) 今のように若い人が就職しづらい状況では、みなさん一般企業への就職も考えてはいるのでしょうが、一般企業側では実務経験を積んだ人を採用したがるから難しい。でもそれだったら、自分でやるという道もある。僕も、監査法人勤務を通らずに事務所を登録(当時は会計士補で事務所の設立が出来た)している。特に私の分野である公会計は、監査があるわけではないから、よっぽど食えない状況でした。でも仕事を続けていくうちに、優しい先輩方に助けられて、飯は食えるようになると思う。そうやっているうちに実務経験を積めるし、どっかに就職せずに、むしろそれで自分の腕を磨いていけばいい。それでもっと勉強したいのであれば、留学とかのために借金をしてもいい。若いんだから、いくらでもとり返せる。私も若い時は挫折もあって大変だったが、優しい先輩に助けられてなんとかやってこれた。若い人も「衣食を官に頼らず」という気概を持って自分で頑張っていれば、なんとかなると思う。

本日は貴重なお話を頂き本当にありがとうございました。

 

(インタビューを終えて)
 桜内先生はとてもお話が面白く、さまざまな経験をお聞きするのも楽しかったのですが、やはり最も強く感じたのは、日本をよい国にしていきたい、公会計をよいものにしていきたいという熱い意気込みでした。そして、その後のご活躍は、周知のとおりです。四国でこのような先輩を持ち、ご活躍を全国に伝えることができたことを誇りに思うとともに、私たちも、この熱い思いを受け継ぎ、「衣食を官に頼らず」という気持ちで、社会のために頑張っていきたいと思いました。
 なお、この企画の実現に当たっては、さまざまな方々のご協力・ご指導をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。
(責任者-佐久間)

 

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